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このバンドのパイオニア性は、それまで“ロックは英語の歌詞でなくてはサマにならない”という固定観念を見事に壊してくれたことにあります。サウンドの基本はフォーク・ロック的というかウェストコースト・ロック的というか、まあ〜その辺の感じを日本的なエモーションで味付けしたようなサウンドですが(苦しい説明)、彼らの最大の特徴は大瀧詠一のヴォーカルスタイル(日本語の歌詞を幾分巻き舌で外国人風に歌う、これは後のサザンオールスターズの桑田佳祐にも影響を与えている)と松本隆の文学的、散文的歌詞にあると思います。
「はっぴいえんど」解散後、メンバーはソロ活動を開始するわけですが、ここからが彼らの本領発揮ということになります。同時期に活動していた後のニューミュージック系シンガーソングライター達に彼らの音楽的センスを見込まれ、プレーヤーとしてレコーディングに参加したり、プロデュースをしたり、楽曲を提供したりと、この時期のニューミュージック系の人達(山下達郎、竹内まりや、南佳孝、ユーミン、井上陽水等々)に、何らかの形で関わっていたと思われるのです。 また、彼ら自身の活動としては大瀧詠一がアルバム「A LONG TIME VACATION」とそれに伴うシングル「君は天然色」のヒットや小泉今日子(怪盗ルビィ)、大田裕美(さらばシベリア鉄道)等への楽曲提供、松田聖子のアルバムプロデュース、はたまた森進一(冬のリヴィエラ)、小林旭(熱き心に)にまで曲を提供、ヒットさせています。その他三ツ矢サイダー等のCMソングも多数手がけ、‘70年後半から‘80年前半にかけては大活躍でありました(最近では“ちびマルコちゃん”のテーマ曲も彼の創作)。 松本隆は作詞家に転向し、現在でも日本の歌謡界(Jポップ界)で欠くことの出来ない存在として君臨しています。おそらく彼の作詞した歌を日本人であれば殆んどの人が耳にしている筈で、多くの歌手のヒット曲を手がけるヒットメーカーで、超売れっ子作詞家の一人になっています。彼は‘74年にアグネス・チャンの「ポケットいっぱいの秘密」で作詞家デビュー、次の大田裕美の「木綿のハンカチーフ」とのWヒットでその地位を築くのですが、上記のように“日本人であれば殆んどの人が耳にしている”ほどお馴染みの曲の作詞を担当しています(寺尾聰「ルビーの指輪」、桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」、松田聖子「ガラスの林檎」、近藤真彦「スニーカーぶる〜す」、最近ではKinki Kids「硝子の少年」等々・・・数限りない)。細野晴臣は‘78年に坂本龍一等と共に「イエローマジックオーケストラ」を結成。「テクノポップ(所謂コンピューター・ミュージック)」というジャンルを築き、日本を創め世界的にも評価を得、一つのブームを作ったのですが、これは後に「テクノ歌謡」などという分野をも生み、日本の歌謡界(Jポップ)に少なからず影響を与えています。 こうして見ると、彼らは総体的に‘70年代以降のニューミュージックを含む日本歌謡界(Jポップ界)を“縁の下から支えていた”職人的存在で、彼らがいなければ「Jポップ」というスタイルと名前さえ生まれず、歌謡曲という古式ぜんとした呼び方と形式で、今日まで存続していたかも知れません。 それにしても、個人的にはギター弾き職人の鈴木茂にもうチョット活躍してもらいたかったのですが・・・・・・・・。では、今回はこれにて失礼。 |
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