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当時アメリカのフォーク・ソング復興に多分に触発されながら、初期にはコピーにすぎなかったフォーク・ソングもやがて独自のオリジナリティーを持つようになるのですが、おもしろいことに最近では“フォーク”と呼ばれても“フォーク・ソング”と呼ばれることが少ないのは何故でしょう?
‘63年11月、アメリカの「ピート・シーガー」の来日を契機に日本に本格的なフォーク・ブームが訪れます。「ボブ・ディラン」が日本にはじめて紹介されたのも、この「ピート・シーガー」によるものです。 ‘64年、「ベンチャーズ」や「ビートルズ」等の日本登場を背景にエレキ・ブームが興りそしてその年、原宿や銀座で行われた※フーテナニーには都内の学生バンドが結集し、カレッジ・フォーク全盛のきっかけになります。また、「ブラザース・フォー」の再来日や「ピーター・ポール&マリー(PPM)」の来日で「花はどこへ行った」や「風に吹かれて」の一連のヒットが生まれます。
‘65年8月、軽井沢の「ジュニア・ジャンボリー」やその後都内で行われた複数の「フォーク・コンサート」に出演していたのが「若者たち」のヒットを持つ「ブロード・サイド・フォー」、森山良子、「フォー・ダイムズ」、“小室等”の参加していた「PPMフォロワーズ」、「バラが咲いた」のヒットでフォーク・ブームを呼び込む“マイク真木”の参加していた「MFQ(モダン・フォーク・カルテット)」そして関西から「フォーク・クルセイダーズ」等々。ここに‘66年以降に活躍するフォーク・シンガー、グループが顔を揃えることになります。 また、関西では同年、「高石友也」が「受験生ブルース」でデビュー。翌‘67年には京都で「第1回フォーク・キャンプ」が開催され東京とのジョイントが始まります。「岡林信康」、「五つの赤い風船」の活躍。そして「フォーク・クルセイダーズ」の「帰ってきたヨッパライ」の大ヒットが‘68年に生まれます。ここに同世代が歌うだけでなく、同世代による歌づくりが本格的に出発し、日本独自のオリジナリティーを発揮したいわゆる“J・フォーク”と言ってもいいものが誕生するのです。このムーブメントは後の“四畳半フォーク”を経て最終的には「ニュー・ミュージック」というジャンルを確立することになるのでが、話がチト長くなるので今回はこの辺でおひらきです。この続きはまた次回ということで。 では、また・・・・・・・。 |
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