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その他、忘れてならないのが坂本九でしょう。‘60年に「悲しき60才」(何ともペーソスを誘うタイトル)でデビューした彼は、「すてきなタイミング」、「上を向いて歩こう」等のヒットでまたたくまにスターになりましたが、彼こそは当時若者の音楽とみなされていたポップスを歌って老若男女の人気者となったこの時代の代表的シンガーの一人です(ちなみに彼の「上を向いて歩こう」は、アメリカで「スキヤキ・ソング」(‘63年)として大ヒットし、現在まで唯一日本人として全米NO.1ヒットの記録を保持しています。余談ですが、彼は‘58年にザ・ドリフターズに在籍しギターとヴォーカルを担当、その後ダニー飯田とパラダイス・キングに参加している)。 そして、彼はまた外国曲のみならず「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」等の中村八大、永六輔(いわゆる当時のJポップヒットメーカーで、六八コンビと言われていた)の日本人クリエーターのオリジナル・ポップ・ソングをヒットさせて、日本の歌謡曲界に新風を吹かせたのも見逃せないことです。 これらの純国産ポップ・ソングが欧米曲になじんだリスナーにとっても、抵抗なく聴けるものであったのを思うと(私もそうですが)国産の曲の現在までの欧米指向化は、どうやらこのあたりから始まったのではないかという気がするのですが? この当時は欧米曲の日本語版が全盛でしたが‘61年のコニー・フランシスの「ボーイ・ハント」あたりからこんどは逆にあちらの歌手が(一時)日本語でレコーディングするケースがでてきました。一番多かったのは上記のコニーで前途の「ボーイ・ハント」をはじめ「夢のデイト」、「かわいいベイビー」等他を俄然リードしていました。これが‘62年、‘63年の頃で、この時期弘田三枝子、園まり、中尾ミエ、伊東ゆかり、飯田久彦といった人達もデビューしていました。裏話ですが、当時の和製ポップス製作現場では(担当者の話ですが)アレンジをオリジナル外国盤と同じにする場合、中尾ミエの「かわいいベイビー」の録音の時にイントロのオルガンの音がでなくて苦労したそうです。こんな感じで外国盤と国内盤とでは同じアレンジであってもサウンドに歴然と違いがあったようで(まあ〜本場とは楽器の差があったということでしょうか)、少々マニアックですが今聞き比べて見るのもおもしろいかもしれません。それはさておき、この当時の数年間はアメリカでも日本でも洗練されたいわゆる“ロッカ・バラード”や“ポップス”なるものの全盛期で、ふり返ってみると親しみやすい曲が多いのはなんとも心が和みます。こうして以上のような有能なシンガー・ミュージシャンを輩出しながらツイスト・ブームを経てやがてビートルズの時代へ突入するのですが、この続きは次回ということでおひらきとします。 では、また・・・・・・・・・。 |
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