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「(欧米)ポップスファンから見た和製ポップスの流れ」其の2の巻

前回ではJポップの流れのところで終わりましたが、今回は当然ですがその続きからまいります。最初のロックンロール時代はあちらでいえばエルビスやジーン・ビンセント達が大暴れしていた頃で、なんといってもこの頃のロックはストレートでシンプルなリズムセクションと激しいステージアクションが中心。ファンの熱狂ぶりは洋の東西を問わずどこでも同じで、ロカビリー喫茶(古い言い方ですね、今で言うライブハウスですか?)が非行の温床となるのでは?と社会問題になったのもこの頃でした。
当時(‘50年代後半)の代表的なヒット曲はエルビスの「ハート・ブレーク・ホテル」や「ビー・バップ・ア・ルーラ」、「リトル・ダーリン」、「砂に書いたラブ・レター」、「ダイアナ」等がありますが、特に見逃せないのが上記のヒット曲を生んだアメリカの影響で、映画音楽や一部のヒットを除くとほとんどがアメリカ産でした。しかし、「バナナ・ボート」や「霧のロンドン」等のロックでないものも結構ありました。

さて、ポール・アンカの「ダイアナ」(‘57年)あたりを境にロックサウンドも次第に洗練されて、いわゆるロッカ・バラードやポップスといった傾向のものが増えてきます。この時期は親しみやすいヒット曲が多かった時でもあり、(日本では)カバーヒットが多かった時代でもあります。ちょうど‘59年にテレビで「ザ・ヒット・パレード」が始まり、日本の歌手によるあちらのヒット曲が一部の熱狂的ファンのものではなく一般のリスナーにも入り込んできたのが大きな特徴です。特に‘60年代以降は坂本九や森山加代子、ダニー飯田とパラダイス・キング等がカバーヒットをだし、オリジナル盤とレコード(当時は当然ですがCDでありません、念のため)の売上を競っていました。

また、この時代の特色はアメリカと並んでヨーロッパのヒット曲が多くなっていました。「小さな花」、「死ぬほど愛して」(そういえば城卓也の「骨まで愛して」なんて曲もありましたナ)、「太陽がいっぱい」等、ロックンロールの反動としてメロディアスなものが求められたのでしょうか? この傾向は‘60年頃から特に多くはなっていますが、ザ・ピーナッツが‘59年に「小さな花」でデビューしているのをみると、いっそうその感が強まります。


terada-saurus
<生態>
●俗名:テラダザウルス(爬虫類ではありません。いちおう霊長類の仲間です。)
●別名:ミスター パラドックス
●生息地:夜の盛り場、主に歌舞伎町あたり。
●習性:もちろん夜行性。チェック柄の擬態で人の目を惑わす。
●性格:良く言えば凝り性、実態はかなりの粘着質。パラノイア()とも・・・・・。
●血液型:・・・謎。
●年齢:不明、気は若い。
●特技:毒舌(始まったら止らない独断場)。
●苦手なもの:ゴマすり、お世辞。(するのも、されるのも)
●飼育上の注意:できるなら近寄らない方が無難。ハマる覚悟が必要。

 

その他、忘れてならないのが坂本九でしょう。‘60年に「悲しき60才」(何ともペーソスを誘うタイトル)でデビューした彼は、「すてきなタイミング」、「上を向いて歩こう」等のヒットでまたたくまにスターになりましたが、彼こそは当時若者の音楽とみなされていたポップスを歌って老若男女の人気者となったこの時代の代表的シンガーの一人です(ちなみに彼の「上を向いて歩こう」は、アメリカで「スキヤキ・ソング」(‘63年)として大ヒットし、現在まで唯一日本人として全米NO.1ヒットの記録を保持しています。余談ですが、彼は‘58年にザ・ドリフターズに在籍しギターとヴォーカルを担当、その後ダニー飯田とパラダイス・キングに参加している)。
そして、彼はまた外国曲のみならず「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」等の中村八大、永六輔(いわゆる当時のJポップヒットメーカーで、六八コンビと言われていた)の日本人クリエーターのオリジナル・ポップ・ソングをヒットさせて、日本の歌謡曲界に新風を吹かせたのも見逃せないことです。

これらの純国産ポップ・ソングが欧米曲になじんだリスナーにとっても、抵抗なく聴けるものであったのを思うと(私もそうですが)国産の曲の現在までの欧米指向化は、どうやらこのあたりから始まったのではないかという気がするのですが?

この当時は欧米曲の日本語版が全盛でしたが‘61年のコニー・フランシスの「ボーイ・ハント」あたりからこんどは逆にあちらの歌手が(一時)日本語でレコーディングするケースがでてきました。一番多かったのは上記のコニーで前途の「ボーイ・ハント」をはじめ「夢のデイト」、「かわいいベイビー」等他を俄然リードしていました。これが‘62年、‘63年の頃で、この時期弘田三枝子、園まり、中尾ミエ、伊東ゆかり、飯田久彦といった人達もデビューしていました。裏話ですが、当時の和製ポップス製作現場では(担当者の話ですが)アレンジをオリジナル外国盤と同じにする場合、中尾ミエの「かわいいベイビー」の録音の時にイントロのオルガンの音がでなくて苦労したそうです。こんな感じで外国盤と国内盤とでは同じアレンジであってもサウンドに歴然と違いがあったようで(まあ〜本場とは楽器の差があったということでしょうか)、少々マニアックですが今聞き比べて見るのもおもしろいかもしれません。それはさておき、この当時の数年間はアメリカでも日本でも洗練されたいわゆる“ロッカ・バラード”や“ポップス”なるものの全盛期で、ふり返ってみると親しみやすい曲が多いのはなんとも心が和みます。こうして以上のような有能なシンガー・ミュージシャンを輩出しながらツイスト・ブームを経てやがてビートルズの時代へ突入するのですが、この続きは次回ということでおひらきとします。 では、また・・・・・・・・・。




 
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