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ということで、今回からJポップの変遷を軽く書いてみます。題して「(欧米)ポップスファンから見た和製ポップスの流れ」とでもいいますか。それでははじめましょう・・・・・・! アメリカでは、50年代の中頃にいわずと知れた“キングオブロックンロール「エルビス・プレスリー」”がデビュー。この影響力は全世界的なもので、当然日本もその例外ではありませんでした。当然和製ロカビリアン(当時ロックンロールはロカビリーと呼ばれていた)が続々と登場したのです。そもそも戦前から欧米のポップスを母体に育ってきた日本のポップスの流れが、ここへ来て若さの(色々な意味で)エネルギーを体で表現できる音楽を手に入れて一気に奔流となったと言えるかも知れません。 小坂一也、山下敬二郎、平尾昌晃、ミッキー・カーチス、寺本圭一たち(懐かしいですネ)が和製ロカビリアンとして日劇ウエスタン・カーニバル(1958年第1回開催)でスポットライトを浴びて以来、かまやつひろし(GS,スパイダースのメンバー)、守屋浩、井上ひろしの俗にいう3人ひろしや坂本九(‘85年8月、日航機墜落事故で他界)等々、後年それぞれの方向こそ違え、ヒット曲を連発したスター達が日劇ウエスタン・カーニバルを中心に現れたのです。短絡的に見るとこれらの人達は、このときだけ人気を集めていた流行歌手のように見えますが、後にこの人達がそれぞれ作曲家や音楽プロデューサー(主に‘70年代‘80年代)等として現在までにJポップの音作りに貢献していることを考えると、この時代の果たす役割の大きさというものを見逃すことは出来ないのではないでしょうか(ん!これも“時間連鎖のとんぼ返り”?)。 では、Jポップの流れを見てみましょう。大きく分けて次のように考えられます。‘56〜‘58年のロックンロール時代、‘59〜‘63年のロッカ・バラード=ポップス時代、‘64年〜‘70年初めまでのエレキ=グループ・サウンズ時代、‘70年代のフォーク時代、‘70年代後半〜‘80年代のアイドル・ポップ(歌謡)時代、ここから先は混沌としている(日本固有種の演歌は‘70年代から根強くがんばっています)。 久ぶりのミュージックコラムなので少々くたびれましたな、今回はこの辺までにしておきましょう。次回からはもう少し詳しく書いていきます。 では、また・・・・・・・・・・。 |
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