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今思えば、この当時(60年代後半)はJBが創ったといってもいいファンク・ミュージックを軌道に乗せていた時期で、いわば当時の最先端の音楽でありました。正にそのファンクの創世記をリアルタイムで体験できたのは、感慨深いものがあります。
さて、JBですが、彼ほど様々なミュージックシーンに影響をあたえた黒人ミュージシャンはジャズのマイルス・デイビスと共に他にはいないでしょう。何しろ、その強烈なスピリットでファンク・ミュージックをメジャーに押し上げて、一つのジャンルを確立したのですから。 彼は若年のころ、かなりの不良だったようで、強盗罪で投獄されそうなのをシンガーのボビー・バーズに助けられ、彼のグループ、「フレイムス」でシンガーとしての才能を発揮、リードヴォーカリストとなり、このグループは後に「ジェームス・ブラウン&フェイマス・フレイムス」と名のり、かなりの評判を取っていたようです。 50年代には精力的にライブパフォーマンスを展開していたJBは、この頃にショーとしてのステージングのノウハウを培っていったのかも知れません。 JBは60年代に入ると、様々なリズムと他の音楽的要素を参考に、よりハードでアグレッシブなサウンドを指向していきます。63年には、あの傑作アルバム「LVE AT THE APOLLO(ライブ・アット・ジ・アポロ)」をリリース、これが全米アルバムチャートの2位まで上がるヒットとなり、一躍JBの名は全米に知れ渡ることになるのです。65年にリリースしたアルバム「PAPA’S GOT A BRAND NEW BAG(パパのニューバッグ)」では白人層のファンも獲得、シングル「I GOT YOU I FEEL GOOD(アイ・ガット・ユー)」は全米3位のヒットとなりました。 その後は、順調に自らのファンク路線を突き進み、70年代にはこのJBファンク路線が爆発、井筒監督の映画「ゲロッパ」でおなじみのライブアルバム「SEX MACHINE(セックス・マシーン)」を始めとした、ド太いファンクアルバムを多数リリース、この頃から日本でも一部マニア以外の音楽ファンにJBの名が知られるようになりました。 80年代にはJBを尊敬するヒップ・ホップ系のミュージシャン達との活動も行い(こういうところがJBの魅力で、絶えず新しい事を取り込んでいく姿勢が素晴しい)、久々に86年に「LIVING IN AMERICA(リビング・イン・アメリカ)」をヒットさせています。また、映画「BLUES BROTHERS(ブルース・ブラザース)80年」に出演するなど小器用なところも見せています。 しかし、80年代後半に妻に対する脅迫行為等で執行猶予ではあるが有罪となり、一時活動を停止していました。その後98年に「I‘M BACK(アイム・バック)」で復帰、再びライブ活動を開始します。日本にもこの間、数回来日公演をしていて、私も色々な面で参考にしようと思い、2回程彼のステージを観にいきました。JBのステージングは60年代から数回TV等で観ていて(60年代のステージは細身のコンチスーツを着てリーゼントヘア、ユニークなダンスとマントショーでかなり当時としてはおもしろかった)、そのショーアップされたレヴューともいえるライブアクトが素晴らしく、何とも強烈なインパクトがありました。そんな思いで復帰後のJBのステージを観にいったのですが、すでに彼もこの当時60才代後半で期待も半々でしたが、驚いたことに彼のパワーは衰えているどころか、円熟味を増したショーマンシップが冴え、パワーフル! おなじみV.S.O.P(VERY SPECIAL ONE PATERN=ヴェリー・スペシャル・ワン・パターン)のマントショーも健在で(これは60年代から演っているので、もうかれこれ40年近くになる、正にVSOPで、ここまでくるとファンのリクエストもあり、彼も止められないのであろう)、何やらうれしくなって、一人でニヤニヤして観ていました。 そんな彼も、最近また警察沙汰を起こし逮捕されたと聞きます、今年で71才になるJBですが、こんなニュースを聞くとJBは老いて益々意気盛ん、永遠の不良で、そのスピリットとパワーはこの辺りから出ているのでは、と思ったりもします。良くも悪くも見習うことの多い人です。 ホンキーのステージではジェームス・ブラウンの曲は重要なレパートリーの一つで、レディース達の歌とダンス、そしてコスチューム、全体の雰囲気等、彼のレヴューを彷彿とさせて実に良いのです。失礼、これはPRでした(笑)。 では、また次回をお楽しみに。 ゲロッパ! |
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