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ジミーは1962年にニール・クリスチャンのバンドでプロデビューします(この時18才)。ジェフ・ベックがジミーの存在を知ったのもこの頃だったようです。しばらくして、彼はバンドのツアーの過密なスケジュールで健康を害しこのバンドを脱退、アートスクールで絵画を勉強します。この時の経験からか、ジミーは後にツェッペリンの独特のジャケットアートについて語っています。「ジャケットと我々の音楽にはつながりがあるんだ、人は各々にインスピレーションを引き出すことができ、トータルにイメージしてもらえる、だからジャケットアートは重要なんだ。」こんなところにも彼のロックをトータライズした型で見せるという、一種のマーケティング的ビジネス感覚が垣間見えます。
1960年代のロンドンは未曾有のブルースブームでジミーもマーキークラブ等といったライブハウスでジャムっているうちにエリック・クラプトンとの出会いも生まれました(エリックの巻で書いたようにこの時のジミーとエリックのセッションがアルバムとして出ている)。 そうこうしているうちに、ジミーはセッションミュージシャンとしてイギリス音楽界でもてはやされるようになります(恐らく19才位で、当時世界で一番若いセッションギタリストと言われていた)。この頃のイギリスは若手のギタープレーヤーが不足していたようで(今では信じられないことですが)、彼のセッションミュージシャンとしての仕事は大盛況だったようです(ジミーのセッションワークを集めたアルバムも最近発売されているので興味のある人は聴いてみて)。 クラプトンはこの当時すでにヤードバーズを脱退、ジミーは加入をすすめられていたが、セッションワークの忙しさを理由に断り、旧知のジェフ・ベックを推薦します。 ジミーのセッションミュージシャンの仕事は65年頃までやっていたようですが、彼はこのころ、プロデューサーの指示に服従し、コミュニケーションの取れないセッションミュージシャンの仕事にフラストレーションがたまると同時に虚しさをおぼえ始めていました。 ジミーより1つ年下のクラプトンは当時ブルース・ブレイカーズに在籍し“God”等と呼ばれ、ジェフ・ベックはヤードバーズでフィードバックと言われる独特のギター奏法で人気を博していました。 そんな折、66年の半ばにヤードバーズのメンバーが1人脱退(ベーシストのポール・サミュエル・スミス)、 ジミーに再度加入の要請がかかり、この時ジミーはベーシストとしてヤードバーズに正式加入することになります(ジェフ・ベックとジミーが同じバンドでプレイしたのは後にも先にもこの時のみ)。 ジミーが加入して暫くすると、ジェフは自らのバンドをロッド・スチュアート、ロン・ウッド(現、ストーンズ)等と結成するためグループを脱退します(66年後半)。この時点でジミーはベースから本来のギタープレイヤーにスウィッチ、ヤードバーズの最後のリードギタリストになるわけで、この後ヤードバーズはジミーのリードギターをフューチャーしたラストアルバム(67年、Little Games)を発表して、実質上解散状態になります。当時、すでにロックミュージックの世界は先のジェフ・ベックグループ等のハード・ドライビング・ロック(ハード・ロック、ヘビー・ロック)の時代を迎えつつあり、ジミーも悶々としていた中、新メンバーをつのり「ニュー・ヤードバーズ」をスタートさせます。メンバーはロバート・プラント(リードヴォーカル)、ジョン・ポール・ジョーンズ(ベース)、ジョン・ボーナム(ドラムス)そしてジミーのギターという布陣で、このバンドが68年に衝撃的デビューを飾った時には「レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)」というバンド名に変わっていました。 さて、ここで一気に「ツェッペリン=ジミー・ペイジ」に行ってしまいたいのですが、読まれる方も書く当方も疲れるので(苦笑)今回もまた2回連載にしました。悪しからず、では次回は「レッド・ツェッペリン」の巻です。お楽しみに。 |
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