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「ブラインド・フェイス」は、その後1年たらずで自然消滅します。メンバー間の音楽性の相違が原因と言われていますが、それにもましてバンドの音楽性とファンの期待しているそれにギャップがあったため評価が別れ、中途半端に終わってしまった。何にしても、実力者揃い故のリーダーレスバンドの当然の結末ではありました。
この後、エリックは後にセッションミュージシャン (エリックは「クリーム」の頃からセッションマンとしても数多くのバンドやシンガー達のレコーディングに参加、頼まれると嫌と言えないのか、仕事に対して意欲旺盛なのか? とにかく多様な人である、今でもその姿勢は変わっていないようだ。セッションの代表的なのが「ビートルズ」、「ローリング・ストーンズ」、「レオン・ラッセル」、「アレサ・フランクリン」、「デラニー&ボニー」、「ジョン・レノン プラスティックオノバンド」等々、挙げればきりがない) として参加するアメリカのデュオ、「デラニー&ボニー」のステージを見て、そのソウルフルでのびやかなアメリカ南部のロックに引かれ、次に発表するファーストソロ (ERICK CLAPTON,1970) では、先の「デラニー&ボニー」や「レオン・ラッセル」等、ブラスセクションを含めた総勢数十名のバックミュージシャンを起用してアルバムを発表します。初めて全面的にリードヴォーカルをとるのですが、この当時のエリックのヴォーカルスタイルは現在のような迫力ある渋みの利いたスタイルではなく、どことなく頼りなげでうまいとはいえない、元々エリックはヴォーカルに関しては「クリーム」の頃から問題外でありました(多分、このアメリカ南部ロックのソウルフルなヴォーカルスタイルもエリックの憧れだったのか、その後パワーアップしていく)。 何はともあれ、このアルバムでその後の彼の音楽方向が固まったようです。それは「オールマン・ブラザース バンド」や「レナード・スキナード」に代表される、“レイドバック”といわれるブルースを基調とした、ゆったりと流れる様なアメリカ南部のロックスタイル、”サザンロック”です。エリックはファーストソロの余韻を駆って、このバックバンドのメンバー数人と「デレク&ザ・ドミノス(DERK & THE DOMINOS)」を結成し、ゲストミュージシャンに「オールマン・ブラザース・バンド」のリーダーで、今は亡き”デュエイン・オールマン”を迎え、白熱のツインリードギター合戦を展開するサザンロックの名盤「レイラ(LAYLA and Other Assorted Love Songs,1970)」を発表します。この“レイラ”というのは、エリックの朋友ジョージ・ハリスンの当時の奥さんであった“パティ・ボイドのことで、彼女に捧げたアルバムでありました。エリックはこの“パティ”にメロメロ(つまり不倫)だったようです。 一人の女性への愛を切々と歌ったこのアルバムは(シングル曲「レイラ」を含め)、英・米でヒット! しかし、人妻とはいえ、愛故にアルバムを一セット創ってしまうこの情熱的なパワーはスゴイ!(それにしても、ジョージはこのことを許していたという、妻への愛より男の友情を選んだということか? 泣ける〜)。 「デレク&ザ・ドミノス」も次のフィルモアでのライブアルバムを最後に1971年に解散します。 エリックは、その後暫く音楽活動を休止するのですが、その理由は、この時エリックはドラッグ中毒に陥り、アルコール中毒も含めてかなり重症だったらしく、心身共にボロボロだったようです(分かるような気もする、ちなみにこの当時、彼の笑顔で写っている写真はほとんど無い)。 1973年1月、エリックをドラッグから立ち直らせる為、「ザ・フー」のピート・タウンゼント等の図らいで、ロンドンで“レインボーコンサート”を開催します(この時の模様は同年、同じタイトルでライブアルバムとして発表)。 この甲斐あってか、エリックは1974年に完全復帰します。その年に4年ぶりのセカンドソロアルバム「461オーシャン・ブールヴァード(461 Ocean Boulevard,1974 )」を発表、ボブ・マーリィのカバー「アイ・ショット・ザ・シェリフ」を久々にヒットさせています。驚いたのは、当時まだ日本では一部の音楽ファン以外あまり認知されていない“レゲエ ミュージック”を取り上げ(私もこの曲の原曲がレゲエとは知りませんでした)、エリックなりのレイドバックスタイルに消化して演っていることでした。エリックは変わったなと確実に感じた瞬間でした。これから、80年代の半ばまで、約1年に一枚の割りでレイドバック路線のアルバムを発表していくのですが、1985年になってエリックは次の転機を向えます。それまでのレイドバック路線からフィル・コリンズをプロデューサーに起用するなど、よりPOPなコマーシャル路線に傾いてきます。 1986年には初めての映画音楽を手がけることになり(ポール・ニューマン、トム・クルーズ出演の“ハスラー2”の主題曲“ザ・ギフト”)、そして、1991年にはまだ5才の息子“コナー”を失い、失意のエリックは映画”ラッシュ”のサントラを依頼された際に、この時の感慨を胸に「ティアーズ・イン・ヘブン(Tears in Heaven)」を書き上げます。この曲を含むアルバム「アンプラグド〜アコースティック・クラプトン、1992」は主要6部門でグラミー賞を獲得。以後、エリックは順調に活躍しているようです。 この頃は還暦も近いせいか(あまり関係ないかも!) 彼のルーツミュージックである、ブルースへの回帰が顕著で、ブルース名曲集ともいえるアルバム「フロム・ザ・クレイドル、1994」やあの”B.Bキング”と競演のアルバムを出したり、ブルースの祖といわれる“ロバート・ジョンソン”の全篇カバーアルバムを出すなどしています。 思えばこれまでのエリックの生き様自体が“ブルース”そのものといってもいいのかも知れません。 エリック・クラプトンの巻 終 |
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