<放談6月>
二人の客人
若葉の頃も過ぎ、鬱陶しい梅雨の季節に入りました。ところで日本人は外来の文化や技術、言語等を巧みに取り入れ、アレンジして文化を築いてきました。この梅雨(つゆ)という言葉もそうなのですが、これは中国からの輸入言語です。語源は諸説あるのですが、解りやすいのが「この時期は梅の実が熟す頃である」ことからという説があります。ちなみに中国や台湾では梅雨(メイユー)と発音します。さて、今回のお客人は珍しくお二人でお出でいただいているようで、んッ、何だか騒がしそうですナ・・・・。

トマスおじさん:
(トマス・H・モア) 
(ポンッ)よッ、テラダ某。今回はチトお騒がせするぞヨ。何しろ毛色の違った客人を二人も連れてきてしまったでナ。

テラダ某: へ〜ッ、何でもかまいませんが、最近はよっぽどの事でない限り驚きませんヨ。何しろトマスおじさんの客人のご選択は結構想定外すからネでッ、どなた様達です〜。

信 長 公:





(ズボッ)織田信長と申す。して、貴公は何者じゃ、名を名乗られよ





テラダ某: は、はーッこれはこれは失礼いたしやした、私テラダ某と申しやす。信長公とはつゆ知らず恐れ入りやした(いきなり江戸弁になるテラダ某)。しかし、これじゃまるで「魔界転生」みたいでんナ〜。

ルタ ー師:





(スポ〜ンッ)Sehr erfreut私はマルティン・ルターといいます。テラダ某さんですね。
あなたに神の御加護があらんことを。


 
テラダ某: はッ、こちらはあのルターさんですか、はじめまして。よろしくです〜(そうでんがナ、最近は神の加護にでもすがりたいご時世ですヨ。ほんまに・・・)。

トマスおじさん:
(トマス・H・モア)
何をブツブツ言っておる今回の客人のセレクションはどうじゃナ。想定外かの…


テラダ某: いやはや、想定外というか、以外な組み合わせの方々でんナ。それにしても一体どういう関連があるんです〜。私にはさっぱり合点がいきませんが(確かに毛色は違う)

トマスおじさん:
(トマス・H・モア)
然もあろう、然もあろう。お前さんのような俗人には解りにくいじゃろうて。こちらのルター氏は例の宗教改革※1で有名な御仁じゃヨ。じゃが、敬虔なカトリックであったわしはルター師の主張には反対じゃったがの、まッ、そのおかげでわしもトバッチリを食い、ヘンリー8世に斬首されたのヨ、トホホ・・・。で〜ッ(突如、気を取り直して)信長公との関連じゃがナ、実は信長公も逆の意味で宗教には縁が深いのじゃヨ。それと、わしは前々から日本人の宗教観が良く解らんでのう、ほんでもって今回はこのお二人に、その辺のところで話を聞こうと思うてお出で願った訳じゃナ。

ルタ ー師: その点では私もモア殿には同感です。現代の日本人の宗教観は宗教の種類に関係なく、総体的に信仰心は薄いと思いますが、いかがですかナ信長公。

信 長 公: 貴公等は日本人の宗教観を疑問視しているのでござるか。確かに西洋の方々から見れば、特に基督教の国家から見れば、おしなべて信仰など無いに等しい。 この今の大多数の日本人の無宗教観のせいかどうかは解らぬが強大な“似非宗教団体”が蔓っておる。頗る胡散臭く邪魔臭いぞ。せっかくわしが400年前に延暦寺を焼き討ちし※2、本願寺を何度も攻め伊勢長島や越前・加賀の一向一揆※3で狂信的門徒達を皆殺しにし、あのなまぐさ坊主共を葬り、結果として政教分離※4をせざるをえなくしたのに、一寸目を離すともうこの有様じゃ。そういえば比叡山延暦寺は、あの最澄以来の天台宗の総本山ではあった。だが、奴等は所詮宗教に名を借りた勢力争いをしていたに過ぎんそもそも延暦寺は僧兵という暴力装置の温床であり、戒律など屁とも思わず、女色を貪り、男色にも耽り、酒を食らって山下に乱暴狼藉を働く無頼集団と化していたのじゃ。そして、同じ仏教同士、鮮烈な血で血を洗う勢力争いを日常としていた。それはもはや骨肉の争いであり、底なしに根が深い。これはイデオロギー闘争の様なもので、近親憎悪的残忍性を伴い、始まれば果てしなく続くのは現世でもよく見聞するのではないか要するに、わしはな、教条主義的且つ原理主義的な宗教勢力が世俗の権力と交じり宗教としての意儀を忘れ、おまけに悦楽や無駄な勢力争いや金満にはしる腐敗したなまぐさ坊主共を成敗したまでじゃ。わしはこの様な欺瞞が大嫌いじゃでのじゃが、決して宗教を全否定したわけではないぞ。

テラダ某: へエ〜、あの最澄さんが始めた天台宗でも時代が変わるとそこまで堕落するんすネ。ほんまにビックリでんナ〜。そうなると戦後生まれの新興宗教団体なんぞは、あのオウム真理教ではないが、言わずもがなということになりますか〜(ナットク)。

ルタ ー師: いやはや、それについてはヨーロッパとて同じこと、排他的宗教の惨たらしさは半端ではありません。例を挙げれば、1575年8月24日、聖バルテルミーの祭日にパリのカトリック教徒達がプロテスタントを襲い虐殺したのです。死者は2000とも3000とも云われていて、しかも殺すだけではなくその死体を切り刻んだというから酷いことです。これは「聖バルテルミーの虐殺」と言ってフランス史上もっとも忌まわしい事件の一つに上げられています。
その後もプロテスタントへの迫害は形を変えて、これほど凄惨ではないが繰り替えされました・・・・。 ああッ神よ

信 長 公: なるほど、欧州も独善的宗教というものは超過激じゃな。失礼ながらこちらの話を続けるが、延暦寺については先程の事例だけではない、当時、各々の宗門間がお互いに敵対しており、その敵対相手として奈良の興福寺や紀州の高野山などがあったのじゃ。
高野山の金剛峰寺や根来寺などはその強固な団結力と戦闘力で近隣を震え上がらせていたものじゃ。根来寺と言えば現世のおぬし等も少しは知っているのではないか根来衆という歴史に残る名高き鉄砲衆はこの寺が抱えていたのじゃ。そういえばあの石山本願寺※5に味方して、我が織田軍団を散々悩ませた、これまた有名な雑賀の鉄砲衆は非常に強力であった。我が鉄砲隊より力は上でのう〜。
しかも、この雑賀衆には一向宗※6の門徒がたくさんおった。まったく宗教に憑りつかれた者は始末におえん。つまるところ、宗教と寺という枠を超えた武装集団の弊害がおぬし等にも解るであろう。そこには女色戒も殺生戒もない、武闘殺人集団であることには武家と何ら変わらんのじゃ。

テラダ某: ヒエ〜、宗教ッて、行き過ぎると怖いものでんナ〜。ついでに聞きますが、石山本願寺 はどうだったんすか

信 長 公: ふむッ、本願寺の拠点である石山の地は、今は大阪城となっておる。要するに堅固な要害の地であったのじゃ。つまり当時は反信長派の軍事拠点であった。そしてその中にはあの親鸞を開祖とする浄土真宗の教義を奉ずる熱狂的且つ狂信的信徒が多く籠っており、多数の門徒を煽動し各地で一向一揆を繰り広げておった。元亀2年(1571)伊勢長島の一向一揆への攻撃では、わしは5万の大軍を持ってしても、大河の交錯している中州に展開する一揆の拠点を攻略出来なかったものよ。まったくもって、神がかりの狂信的門徒ほど始末の悪いものはない。この時、わしの最大の敵はこの本願寺であると悟ったのじゃ。

テラダ某: するって〜と、武田信玄や上杉謙信よりも強敵だったという訳ですかい(何故かまた江戸弁になるテラダ某)

信 長 公: ある意味そうかも知れぬ今の日本国家にとっても真の敵は、その似非宗教団体かもしれぬぞ。

トマスおじさん:
(トマス・H・モア)
日本国民も重々注意せられませい


テラダ某: ヘッ、ヘ〜ッ・・・・(と、恐れ入りながら深々と頭を下げる)。

ルタ ー師: とどのつまり世の中が乱れるほど既成の宗教や新興宗教が隆盛するのは、一般庶民の人心の不安感、焦燥感に由来しています。ワタシが始めた宗教改革以前のヨーロッパでの15世紀の状況と同じで、疫病の蔓延や世の乱れが人々をして救いを求めさせ、そして理性を失わせるのです。この様な状況ではいつの世でも庶民は弱いものです。その弱さが宗教にとって好餌であり、権威を拡大・伸張させるのです。

信 長 公: その通りである。一般庶民・大衆に基盤を置くはずの宗門が比叡山の延暦寺や本願寺の一向宗によるあの戦国時代に於ける勢力の拡張は刮目すべきものであった。大体が上杉謙信や徳川家康なぞは一向宗に散々苦杯を舐めさせられ、最大の敵としてその討伐に本気で腐心していたのじゃ。そして、あの武田信玄も、わしが延暦寺を焼き討ちし、僧侶をことごとく殺し、泣き叫び助命するその関連の女・子供も容赦なく皆殺しにした所業を聞いてさすがに驚いたらしいわい(これを聞いて、マジかよと言ったかどうかは定かではない)。それにしても、800年の栄華を誇った延暦寺が4日以上燃え続け灰塵に帰し約3000人の僧侶が殺戮された訳であるから日本中が驚愕したのも無理のないことじゃわい。山門僧侶の多くが腐敗し俗化の一途を辿っていたとはいえ一般庶民はもちろんのこと武家や公家にも神聖不可侵の聖地と思われていただけでなく、歴史上誰もしたことがない暴挙だけに前代未聞の出来事であったのであろう(人ごとのようにカンラ、カンラと笑う)。

トマスおじさん:
(トマス・H・モア)
しかしながら、信長公は聞きしに勝る第六天魔王じゃのゥ。あのヘンリー8世より遥かにスケールが上だわナ(珍しく調子こいてお世辞を言う、トマスおじさん)。

信 長 公: あのなまぐさ坊主共は、金儲けと肉欲の悦楽ばかりを漁っておった。したがって「坊主丸儲け」の例えは古今東西を問わず宗教と言えども人間のなすことであるからして結局のところ同じという理屈になる。これらの諸事については、あの宣教師ルイス・フロイス※7にも折に触れて、たびたび聞かせたものじゃて。

テラダ某: そうすネ、やれ法難だと煽動し、法灯を守る為などという綺麗事を言うのは単なるたてまえ、弁明なんすネ。要するにお題目ですか〜。その上、酒池肉林の宴により仏心を失っていたともなると、なまじ仏法を説く立場だけに罪は重いですわ・・・・、ほんまに。
ところで先程信長公が言われていたその“似非宗教団体”ッて、あの某宗教団体のことでやんすか

ルタ ー師: まさに、その某宗教団体のことです。彼らは今の日本の人々の無宗教観を利用して、信仰とは無縁の拝金主義的営利団体になっています。つまり、信仰心によって人間の美徳や幸福を慮るのではなく、人々の善意による献金により、自らが肥え、良い想いをしている。挙げ句には政治に口を出し、国策にまで係わろうとする。残念ながら信長公のやられた政教分離は今や水泡に帰しています。ワタシも当時のドイツにおけるキリスト教ローマカトリックの堕落と腐敗に嫌気がさし宗教改革を行ったのですよ。
それにしても、日本に於ける信長公の宗教弾圧とヨーロッパに於けるワタシが始めた宗教改革とが同じ16世紀だったというのも偶然とは言え、時期がほぼ同じというのは面白いですね。

トマスおじさん:
(トマス・H・モア)
宗教というものは、人間が作り上げたものであるからして偶然というよりは必然であったのかもしれんぞ。つまり、時代や国が変わろうが宗教のような本来敬虔なものでも所詮人間が関わるものであるから結局はいつかは腐敗するということじゃナ。

テラダ某: トマスおじさんは人間性悪説にもとずいてますかネ

トマスおじさん:
(トマス・H・モア)
それはチト違うわナ、人間性悪説では無く、これは今風に言えば集団心理的同調現象じゃヨ。要するに人間が団体で事を成せば、集団心理が働き、皆一方向に靡くということかのゥ。

ルタ ー師: 更に言わせていただけば、ワタシの頃はローマ教皇の独裁と財政的基盤の建て直しとで過剰な教会税の摂取に専念し、聖職者への教育が疎かになり、賭け事はするは、女は囲うは、飲んだくれるはと、聖職者が野暮な俗人と変わらぬ状態になっていました。
これは信長公の頃の日本の宗教界と共通していて、国と宗教は違えど何やら奇妙な一致を感じます。これも我々がここに集う運命であったのでしょうか(それにしてもユーレーに運命があるとは素朴な疑問) 宗教の存在意義は、人の意識や心情を、神聖な存在を信仰する事により心を平穏にして良い人間性を磨くものです。そして聖職者は悩み苦しむ信者に慰めを与えるのが役目なのです。必要以上の金銭を儲けるためではない。

信 長 公: じゃからして、そんなものはわしの様に有無を言わさず、焼き討ちをかけ全て焼き殺してしまえば良いのじゃ頗る簡単な事じゃて(薄笑)。

テラダ某: しかし、お二人のお話は何やら比喩ぽいッすな〜。何か現状に当て嵌めろ・・みたいな

トマスおじさん:
(トマス・H・モア)
それは、“当たらずとも遠からず”じゃのゥ(皮肉笑)。


信 長 公: そもそも、己らの考えを一方的に押し付け、拡大する為に現世の日本の善良な民を洗脳し、世俗の勢力(政党・慈善団体・非営利組織・学校法人等々)を利用すること事態が姑息じゃ。
このままでは今後、日本は本当に危ないぞ。拙者は神仏も霊魂の存在も信じはせぬが、世人の心の拠り所となり、信者以外の弱者にも救済を施す宗教団体であれば否定はしない。妙な野心で政治に介入するより、その蓄財を難儀しておる民に使ったほうが、余程よいわ。当時布教に来ていたキリスト教は、少なくともこの当時の仏教勢よりは、この点ではまともであったぞ。まあッ、日本の地に宣教師達が食い込むまでの話だろうし、奴等の腹の中の本音はわしには見え見えだったがな(含笑い)。

テラダ某: それでキリスト教宣教師のルイス・フロイスさんを贔屓にしたんでっか

トマスおじさん:
(トマス・H・モア)
それはどうかのう〜、信長公は新しもの好きじゃて、キリスト教が新鮮に映っただけかもしれんぞヨ。それに本当の狙いは既成の仏教界を牽制する意味もあったのではないかのゥ(冷笑)。

信 長 公: トマス殿、それも“当たらずとも遠からず”じゃ・・・・。カンラ、カンラ(豪傑笑)

ルタ ー師: 政教分離についてお聞きします。これは原則ではありますが、日本国憲法には条文として記述があります(註解の「政教分離」を参照)。その某宗教団体の支持する政党はこれになぞれば憲法違反ではないのですか

テラダ某: そうなんすヨ、日本ではこの事は以前から何度も取り上げられてますが、ウヤムヤにされてますね。なんででしょうかネこちらが聞きたいくらいですヨ・・・・。

トマスおじさん:
(トマス・H・モア)
これはじゃのう、日本国憲法の文言の曖昧さにあるのゥ。これで如何ようにも解釈されてノラリクラリとかわされておるのじゃが、この際スッパリと憲法の改正を色々やらんといかんわナ。まあ、取りあえず宗教法人法から改正ということになるのかのゥ〜。もっとも今の日本の政治状況では無理というものだがナ(蔑笑)。

テラダ某: 話はチョイと変わりますが、聞くところによるとテレビ業界のプロデューサーやディレクターに会員が結構多くいて、この似非宗教団体に対する批判等の放送をコントロールしているそうですヨ。これで悪いイメージが表面化していないんでしょうネ。

トマスおじさん:
(トマス・H・モア)
正にメディア統制じゃナ。巷間言われているところによると、その某宗教団体からの広告料収入や出版関係の印刷料が入らぬと経営が起ちいかなくなっているメディアが増えているのも理由の一つかな。ついでに言えば、会員の浸透はその業界だけではないぞヨ。
「ナントカ革命」と銘打って、各界、各分野に会員を送り込み組織の防衛を行い、プロパガンダを行っておるぞヨ。その範囲は政界は勿論、官界(法務省、検察庁、外務省等)、芸能界、スポーツ界などと盛りだくさんじゃのゥ。これはもう純粋な宗教団体と言えんわナ。それにとっくに宗門から破門されておるじゃろゥ。まったく何を企んでおるのかの〜。

ルタ ー師: これはもうカルト教団※8です。海外のメディアではカルト認定されている旨が長く日本に於いては報道されていないのも、この辺りに原因があるようですね。

トマスおじさん:
(トマス・H・モア)
このままで行くと、日本国民が巧みにマインドコントロールされ、知らないうちに会員になっていたなんて事にもなりかねんわナ。
これは余談じゃがのゥ。わしは最近チョコチョコ雲上から中国を観察しておるが、妙な事象が観られたぞヨ。その某宗教団体が中国の寺院を八つ程買収しておった。そこに何と日本のODA(Official Development Assistance:政府開発援助)が流れておってのゥ。しかも、これに不正があったらしいのじゃヨ。何でも去年それが発覚して中国共産党の高官が即刻、5人程銃殺されたようじゃナ・・・・。クワバラ、クワバラ。そういえば日本国内の寺も、社会を欺くために本来の姿を隠して世間に解らぬような形をとり相当数買収しておるらしいゾ。
それに戦後出来た他の新興宗教団体も同じような手法で金の力により、だいぶ傘下に入れておるらしいしな。これは日本の“真っ当な宗教界”の危機であるぞなモシ。

テラダ某: エ〜と、そのODAは外務省の管轄ですから、外務省にいる信者やチャイナ・スクール出身の官僚と例によって日本のクソ代議士絡みの賄賂の話になりまっかネ〜。
もしそれが本当だとしたら驚き、桃の木、山椒の木でんな〜(長嘆息)。

信 長 公: 何をゴチャゴチャ言うておるのじゃカルトだかカルメ焼きだか、賄賂だか懐炉だか知らんが、そんな似非宗教団体は何度でも言うが、スッパリと成敗すれば良いのよ。“是非に及ばず”じゃ。 え〜ィ、まどろっこしいわい、馬をもて馬を

テラダ某: 信長公そんなにイラつかないでくだされ。所詮このメッセージ欄はバーチャル(仮想現実)の世界なんスから。 オオ、ヤベ〜冷や汗もんだぜ、まったく(ビビリながら)

トマスおじさん:
(トマス・H・モア)
おッ、雲行きが怪しくなってきましたゾ、信長公が本格的にキレぬ内に退散しますかナ。では、またなナテラダ某・・・・・、“是非に及ばず”であるぞヨ。

ルタ ー師: Auf Wiedersehenあなたに神の御加護が・・・・・。

信 長 公: さらばじゃ、テラダ某とやら、ところで馬はまだか

テラダ某: #@***>>><<<<・・・・†
   
   
   
  <註 解>

※1.「宗教改革」
 
16世紀のヨーロッパ(ドイツ)のキリスト教界においての体制上の革新運動で、ルターの「贖宥状(しょくゆうじょう)※A」批判をきっかけとして教皇の世俗化、聖職者の堕落等の信者の不満と結びつき、プロテスタントの分離へ発展していった。
16世紀は近代国家の初期の段階で、それまで各地からの教会税はローマカトリック本山のヴァチカンの収益となっていた。近代国家の萌芽と共に、キリスト教各国は経済的理由から自国の富がヴァチカンに流れることを良しとせず、各国内に貯めて置くことを考え、各地域の教会が、ローマと絶縁することに積極的であったこともこの改革の原因としてある。ルターの贖宥状批判は反響を得、宗教改革は拡大し、ローマ教皇の絶対主義に嫌気がさしていた周辺諸侯の支持を受けた。カトリックを支持する神聖ローマ皇帝とルター派の諸侯との間で戦闘が続いたが、1555年、アウグスブルグの和議が結ばれ、カトリックと新教(ルター派)を選択する権利が認められた。
※A.「贖宥状」とはカトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書で、「免罪符」とも訳されている。キリスト教では犯した罪は告白によって許されるとし、罪の許しのプロセスは三段階からなる。まず、罪を悔いて反省する事。司祭に罪を告白して許しを得る事。最後に罪の許しに見合った償いをする事が必要で、このプロセスにより罪が完全に許されると考えられていた。ところが、中世以降、カトリック教会がその権威によって罪の償いを軽減出来るという仕組みが生まれる。これが「贖宥状」である。この贖宥状は金銭で売買され各地の司教の収入源になり、政治的に利用されたり、商売にすらなっており、聖職者の金満や堕落に繋がり、ルターは本来の規律から外れた金による安逸な免罪とこれの乱用にも反発し、改革を起こした。

※2.「延暦寺の焼き討ち」
元亀2年(1571)9月、比叡山延暦寺を襲撃した。この背景には信長の宗教勢力への警戒がある。特に当時の比叡山延暦寺の力は強大で近江(現:滋賀県)全体に強力な勢力を誇っていた。民衆を結束させ、狂信的集団を作り上げていたことも一因にある。当時の宗教団体は自らの信仰を守るために武装し、他の宗教団体といがみ合っていた。延暦寺も例外ではなく、対立していた法華寺院21箇所を襲撃、多くの人を虐殺した。その法華経もライバルの本願寺を焼き討ちしている。この様な宗教戦争に終止符を打ったのが信長の「延暦寺焼き討ち」と言える。信長は宗教の自由を弾圧しようとしたわけではない。宗教そのものではなく、自分達の教えを一方的に押し付け、政治に介入してくる「原理主義者」を排除したのである。

※3.「一向一揆」
戦国時代に浄土真宗(一向宗)の信徒達が起こした一揆の総称。一揆の拡大によって武家政権の基盤を脅かされることを恐れた織田信長や細川春元等、権力者との争いを展開するなど、戦国大名化して覇権を争ってもいる。しかし、1580年、織田信長との抗争に敗れて、本願寺蓮如が大阪を退去した後は一向一揆は見られなくなった。

※4.「政教分離」
政教分離とは、国家権力と宗教とは相互に分離されるべきであり、国家権力が宗教団体を援助・助長・圧迫してはならないとする原則をいう。この「政教分離原則」をして、「世俗主義」とも言う。これとは逆に国家が特定の宗教を援助・助長する等、密接な関係にある場合は政教一致と言う。各国においては、国教制度や宗教と政治勢力との歴史的過程から政教分離の程度は温度差がある。また、日本の憲法・法律には政教分離という文言を使用した条文はない。これの根拠としては日本国憲法第20条が上げられる。以下。
1 信教の自由は、何人に対してもこれを保護する。
  いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。

※5.「一向宗」
もともと浄土宗の一派だが、親鸞を開祖とする浄土真宗は親鸞の没後、京都東山の大谷廟所を中心に門弟が集まったことに始まり、親鸞の曾孫で覚恵の子、覚如の代になって、天台宗青蓮院の末寺となった。そしてこの本廟がやがて本願寺に成長した。その後、蓮如の代になって、大教団に膨れ上がり、本願寺門徒は近畿地方から中部一体に広がった。組織者として抜群の能力を発揮した蓮如によって巨大教団となったこの浄土真宗を、一向宗と呼んだのは一向一心に阿弥陀仏を念ずるためだという。

※6.「石山本願寺」
明応5年(1469)、蓮如のときに摂津国石山(現:大阪市中央区)に建てられ、後、浄土真宗の本山となっていた寺院。石山は上町台地の北端にある小高い丘で、淀川と旧大和川が合流し、付近の淀川水系や瀬戸内海の水運の拠点で、住吉、堺、紀州に向かう陸上交通の起点でもある渡辺津が形成されていた。これが次第に拡大し、寺内町を形成、商工民が住みつき自治が行われた。この寺内町が台地に沿った坂にあったことから「小坂」、後に「大阪」と呼ばれる。
戦国時代末期には、城郭に匹敵する堅固な石垣をめぐらし要塞化した。信長との石山戦争では篭城戦を10年に渡り行い1580年に和睦するが、後に炎上した。この石山本願寺の跡地には豊臣秀吉が大阪城を築いている。

※7.「ルイス・フロイス」
ルイス・フロイス(Luis Frois、1532−1597)はイエズス会カトリック教会の司祭、宣教師でリスボン生まれのポルトガル人。1563年、横瀬浦(現:長崎県西海市北部)に上陸し念願の日本での布教活動を開始する。日本語を習得の後1564年京都に向かう。1569年入京した新覇者の織田信長と対面。既存の仏教界に信長が失望していた事もあり、彼は信長の信任を獲得して布教活動を行い、多くの信者を得た。「日本史」を執筆し、その著作では当初信長は好意
的に描かれている。

※8.「カルト教団」
カルト(Cult)とは本来「儀礼・祭祀」等の宗教活動を指していた。現在では反社会的宗教団体を現す言葉として使われている。日本ではカルトは少数であっても熱烈な信者がいるような宗教団体を指す。「カルト教団、カルト宗教」と言う。
教祖が絶対的権威を持つカリスマで、教義には排他的で反社会的な内容が多々ある。その教え自体も宗教的信念に基づく思想ではなく、経済的摂取等の自己の欲望の為に信者を利用する為の看板に過ぎない。

   
   
二人の客人

Back Number ⇒
08.5.1608.4.1608.3.1608.2.1608.1.1607.12.1605.4.1605.3.1605.2.1605.1.1604.12.1604.11.1604.10.16|
04.9.1604.8.1604.7.1604.6.1604.5.16
||