いつかはクラウン・・・・・、だった時代

 寒かったり暖かかったりと、カラダにつらい時期ですが、インフルエンザに負けず、頑張っていきましょう Honkyは毎夜、寒さ知らずのHottest Nightです 風邪薬より熱い風呂より効く〜っ、という噂(笑)。是非一度、お試しあれ

さて、今月の「お題」は、クルマについて。私の数少ない趣味(数は少ないがディープ過ぎるのがタイヘン・・・大笑)の中で、クルマにはひとしおの思い入れがあるわけで、大学卒業後、某T社系カーディーラーに勤めた、私の唯一のサラリーマン時代の思い出とも重なる My First Car のお話です。

私がクルマに興味を持ち出したのは、大方がそうであるように、子供の頃、親に買い与えられたクルマの絵本や写真集でした。当時からクルマや船や飛行機など、動くものなら何でも好きなテラダ少年は、一人っ子だったこともあり、そういう本が遊び相手だったわけです。1950年代といえば、国内メーカーがオースチンやルノーなどをライセンス生産していた時代。そうそうコンテッサ(貴婦人)なんて優雅な名前のクルマもありました。
そんなに好きなら、免許を取る前からバンバン乗り回し、カミナリ族にでもなってたんじゃないかと思えば、さにあらず。実は心配性のオフクロが、一人っ子が事故にでも遭ったら大変と、固く禁じられたまま学生時代を過ごし(優等生・・・ いやそれより面白いことが他にあった・・・笑)、初めて車を買ったのは、23歳の時でした。

忘れもしない、ブルーメタリックの“トヨタ クラウン ハードトップ”。当時勤めていたカーディーラーに入ってきた2年落ちの中古車でした。当時のクラウンといえば、法人の社用車か中小企業の社長サン達の乗り物で、がちがちの4ドアセダン(言わずもがな、ボディカラーは黒)でした。「いつかは、クラウン」とばかりにステータス車だったところに、ハードトップという(いま聞くと懐かしいネーミングですが)2ドアのスタイリッシュなオーナーズ・カーが出てきたのは、高度成長期に入って勢いづいてきた社会を反映してのことだったのでしょう。また、「白いクラウン」というキャッチフレーズがあって、白いボディカラーが大人気だったのに、ブルーメタリックのクラウンなんて、前の持ち主も、相当の好きもの()だったのかも知れません(微笑)。

そのクラウンは、毎日の仕事や遊びに大活躍してくれたのは言うまでもありませんが、一度、失敗をやらかしたことがあります。ある日、セールスでお客さんの家を訪ねた時のこと、商談もまとまり、それでは失礼しますと見送られて玄関脇に停めてあった自分の車に乗り込もうとしたとき、「ホォ、クラウンか。会社のクルマかね」と聞かれ、「いやぁ、僕のです・・・」と言ったとたん、「人をバカにしてるのか」という顔になり、ヒガミからなのか、その後口をきいてもらえませんでした。私にしてみれば、好きで乗っていただけで、そんな気はさらさら無かったのですが、自分の子供くらいの若造が、生意気な車を乗り回していることが妬ましく思われたんですね。そのときの契約は・・・・・、言えません(笑)。いま思えば、高度成長期のモータリゼーションの真っ只中にあって、車がやっと一般家庭に普及してきた時代。あのときのお父さん・・・・・、決して悪気は無かったのです。ごめんなさい(陳謝)。

さて、時は移って現代。いまのクルマ社会といえば、地球環境問題や化石燃料枯渇が叫ばれ、ハイブリッド車や代替燃料車が注目されています。水素エンジンや燃料電池の研究も、実用化まであと一歩とか。それとは裏腹に、Mercedesをはじめ名だたるメーカーが、500馬力を超えるウルトラパフォーマンスカーを続々発表しているのは、ガソリンエンジンの時代の終わりに、自己のフラッグシップ(伝説・・・)を残そうと狂奔しているのでしょうか。何か、かつての恐竜の断末魔のように思えてなりません。しかし私自身、近い将来、無くなるであろう内燃機関の鼓動に、一抹の寂しさを感じている今日この頃です。

さて、話は変わって、ワタシの近況について。おかげさまで(?)ワタシ、5つの名前で呼ばれるようになりました。本名の寺田秀雄、てらだひでお、テラダ某ときてテラダザウルス、果てはMr.パラドックスなどと、どれがどのキャラクターだったか、自分でも混乱する始末。ネット検索でヒットしたら、一度クリックしてみてくださいませ(大笑)。

それではまた、来月をお楽しみに。

 
2005/2/16
株式会社フレーバーハウス
てらだ ひでお
 
Back Number ⇒|05.1.1604.12.1604.11.1604.10.1604.9.1604.8.1604.7.1604.6.1604.5.1604.4.23