ラバーソールのウイングチップ お盆も終わり、今日から仕事という方も多いのでは? 休み中の疲れは、ぜひHonkyで癒してくださいね(笑)。酒とオンナと音楽でおもてなししますよ。 さて、Honkyを始めてからというもの、スーツとネクタイに縁遠くなってしまった私・・・・・。もっぱらTシャツの上にチェックのシャツをはおり、チノかコットンパンツにスニーカーという姿で、夜毎、歌舞伎町を徘徊しています。店の女の子たちに言わせれば、VSOP(Very Special One Pattern・・・古っ!)なのだそうですが、本人、好きで着ているものですからまったく意に介さず、昨日も今日もVSOPなのでした。 ファッションといえば、人それぞれスタイルが違うもの。でも好みってそんなに変わらないものですよね。私の場合は、親父にもらった一足の靴が、私の好きなファッションのベースになっているのかもしれません。それは、ラバーソールのウイングチップでした・・・・・。 前回のエッセイで書いた1963年の暮れあたり、私が中学3年の終わりごろです。ある日親父が、箱に入った靴を私によこしてきました。「俺は履かないから、おまえにやる」といって渡されたのは、キャメル色のバックスキンに赤茶色のラバーソールの“ウイングチップ”でした。そのころ丁度VANのアイビーファッションがはやり始め、少し色気づいてきた私も例外ではなく、親にねだってブレザージャケットを買ってもらったばかりだったので、それに合せればいいか・・・・ぐらいに思っていました。 その親父というのが当時でもなかなか洒落者で、新品のバーバリーのコートをわざと雨に濡らし、少しヤレさせてから着るのが粋というような男で、子供の目からは、おかしなことをするなぁ・・・・と思っていたものです。そういう親父でしたから、普通の黒い皮底の靴ではなく、キャメルのラバーソールの“ウイングチップ”も持っていたのでしょう。 さて、年が明け、私も高校に入学したあたりで、(同年代の方なら覚えておいででしょうが)「みゆき族」がぞろぞろと銀座のみゆき通りに集まり始めます。私も勇んでブレザーを着込み、例の“ウイングチップ”を履き、小脇にはVANの紙袋を抱え・・・・・という出で立ちで、良く仲間と連れ立って出かけました。すると決まって、上級生や大学生の兄さん方が、私の靴を見て、「それは何だ?」だの「どこで買った?」だの聞いてくるのです。私にしてみれば「親父にもらった・・・・・」と答えるしかなかったのですが、靴を誉められているのに、なぜか自分のアイビーファッションがキマってるんだ!と、都合のいい解釈で、変な自身を持っていたものです(笑)。 みゆき族といえば、社会現象にもなり当時の風俗の代名詞のように言われていますが、実は64年の春から夏までの1シーズン限りのブームだったんですよね。後年になって何かの雑誌でVANの創始者である石津謙介氏が書いていましたが、当時みゆき通り沿いの商店主たちが、買物もしないでたむろしているみゆき族=不良(笑)に困り果て、「商売の邪魔になる」と、石津氏に怒鳴り込んできたそうです。その年の10月に戦後最大のイベント「東京オリンピック」を控えていたせいもあり、不良がはびこっていては日本の恥とばかりに、警察は9月に風紀取締りを実施したのです。その一環で石津氏は、警察に「みゆき族を退散させてくれ」と頼まれ、「アイビー大集合」という企画で2000人もの若者を銀座のヤマハホールに集め、「アイビーを一時の流行で終わらせずに、いつまでも大切に育てたい。だから、意味もなく銀座に集まるのはやめてほしい」と話したそうです。当時の若者の、なんと聞き分けの良かったこと(笑)。そうしてみゆき族はあっけなく姿を消していったのでした。 残念ながら私はそのイベントに行かなかったのですが、アイビー、トラッドといったファッションは、その後もずっと私のお気に入りのファッションになりました。あの時の“ウイングチップ”は、その後も「お出かけ靴」として愛用していたのですが、ついにはソールが磨り減り、お役ごめんとなったのでした。 親父から靴をもらったのはそれっきりでしたが、私をアイビーに出会わせてくれたという思い出とともに、今でも覚えています。 |
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2004/08/16
株式会社フレーバーハウス てらだ ひでお |
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