「ジョンソン基地の Little Boy」 梅雨明けを待たずに、既に夏が来たような毎日です。Honkyのスタッフも夏バテしないよう頑張っていますよ! 今回は季節柄(?)、私の夏休みの不思議な思い出をお話します。夏休みにはまだ早いって? いやね、先日の良く晴れた日の夕方、歌舞伎町のビル街に珍しくすうっと涼しい風が吹いていて、その風に吹かれたとたんに何十年ぶりかに思い出したんですよ。子供の頃の夏休みって、皆さんにも何か不思議な体験がありませんでしたか・・・・・? それは確か私が15歳の頃です。西武池袋線の稲荷山公園の近くに遊び友達が住んでいて、夏休みが始まってすぐ、初めて彼の家を訪ねたのでした。午後早くに約束したのに、なぜか不在。1時間ほどは待ったでしょうか。退屈でのども渇いたので、ラムネでも買おうと彼の家の軒先を出ました。ぬるいラムネを飲みながら近くの稲荷山公園へ登っていくと、目の前にはジョンソン基地(現:航空自衛隊入間基地)が見えました。長く延びた滑走路には機影もなく、陽炎の中にぽかんと浮かんだ広大な空き地のようでした。その端のほうに白い家並みがあるのを見つけた私は、何を思ったかは忘れましたが、とにかく「行ってみよう」と歩きだしたのでした。 その白い家並みは米軍ハウスでした。フェンスの向こうには連棟の平屋の住宅が整然と並び、まるで外国の風景です。私の住んでいた池袋とはあまりにも違う眺めに夢中になって歩いていると、家並みの間にある芝生の庭で遊んでいた一人の白人の少年と目が合いました。 何気なく足を止めフェンス越しに覗き込んだ私に、その少年は駆け寄ってきて、しきりに手招きをするのです。私の乏しい英語力では何を言っているのか理解できませんでしたが、一緒に遊ぼうという仕草。私は「No、No」と手を振ったのですが、彼は尚もフェンス越しに手を伸ばしてくる。どうしようかなぁと思っているうちに、彼はあきらめたのか、その場からぱっと駆け出して自分の家に戻ったようでした。ほっとした私はその場に腰を下ろし、彼が遊んでいた芝生のあたりをまだ眺めていました。 間もなく、少年が入っていった家から、彼と彼の母親らしい大人の女性がこちらに向かってくるのが見えました。なにやらヤバイと思い、私が逃げ出そうとした時、「待って!」と日本語で呼び止められたのでした。はっとして振り返ると、その声は彼の母親でした。「なんで外人が日本語なんだ?」とびっくりしていると、彼の母親が笑顔で近寄ってきて、「一緒に遊びましょう」と言ってきたのです。 彼と彼の母親は、近くの基地ゲートまでわざわざ私を迎えに来てくれ、私は晴れて(?)基地の中の人となったのでした。 初めて招き入れられた外人の家・・・。玄関を入るとリビングには革張りのソファ、壁に飾られた家族の写真、レコードプレーヤー、見たこともない食べ物、そして何よりキッチンでジュースをもらった時に見た冷蔵庫(例のGE製のヤツ)の巨大さには驚いた!そして、ラジオから流れるFENを聞いたのも、そこが初めてでした。 彼の母親は、基地の中で働く日本人女性から日本語を習っていたとかで、カタコトの日本語ができたようです。そして家族のあらましを聞くことができました。彼の父親は士官であること、彼は8歳で、私と同年代の兄と姉がいること、その兄弟は自分たちの友達(生意気にGFやBFがいたらしい)とばかり遊ぶようになったので、いつも1人で遊んでいるので寂びしいんだということ。「ときどき遊んでください。」と、たどたどしい日本語でマミーから言われたことが、私をその夏休みの間、毎週のようにジョンソン基地へ向かわせるきっかけになったのでした。 私もボーイ(マミーが彼をそう呼んでいた)とウマが合ったのか、私にしたらまだ子供の彼とよく遊べたものだと思います。生意気な(?)彼の兄弟とは時々顔を合わせることもありましたが、彼らはとても大人びて見え(もっとも外人から見たら日本人はすべからく幼くみえるらしいが・・・)、私を見てボーイと丁度いいくらいに思って気にも掛けなかったのかもしれません。 ボーイとは、芝生の周りでミニカー遊びやスプリンクラーで水遊びをしたり、部屋でトランプやボードゲームをしたり、その合間にマミーについてPX(基地内の売店)に一緒に買物に行き、派手な色をしたゼリービーンズやアイスクリームを買ってもらったりしました。 余談ですが、ボーイとのコミュニケーションが初め身振り手振りだったのが、遊びに通い始めてから少し真面目に英語を勉強した成果か(?)、そのうちに耳が慣れ、なんとなく基本的な会話ができるようになっていったのは自分でも面白かった。私の人生のうちであれだけ英語を勉強し、話したのはその時だけかもしれません(笑)。 そうして一夏が過ぎ、夏休みが終わる頃、私はマミーとボーイに、これからまた学校が始まるから毎週は来られなくなるよと伝えたのでした。彼らにちゃんと意味が通じていたのかどうかわかりません。「See you next week !」と、いつもどおりに基地ゲート前でサヨナラしたのでした。 そして学校が始まると、私の足はジョンソン基地から遠のいた。学校の不良仲間との付き合いが中心になったのです。私も自分の15歳の社会へ戻ったのでした。 それ以来、ボーイにもマミーにも会うことはありませんでした。あの最後の夏の日、太陽はだいぶ西に傾いていて、基地ゲートで手を振るボーイとマミーに長い影が延びていた。その時吹いていた風がなんとなく涼しかったことを覚えています。いま思うと、なんとも不思議な出会いだったなぁ。 どうしているのかなぁ? ボーイもそろそろ50近いいいおっさんだろうになぁ・・・・・と、歌舞伎町の風に吹かれながら思い出した、夏休みのエピソードでした。(長文失礼!) (おまけ) 後になって知ったのですが、ジョンソン基地の名前の由来にもエピソードがありました。通常、基地の名前は「地名」ですよね。それがなぜ「ジョンソン」になったか・・・。 ジョンソン基地の名は、ある米軍人の英雄パイロット「ジョンソン大佐」の名前を取って、1946年2月に公式にジョンソン陸軍航空基地と名づけられました。 終戦後の1945年10月7日、悪天候の中、ジョンソン大佐以下5人を乗せたB−29は厚木基地に着陸しようとしたができませんでした。その時同機にはパラシュートが4人分しかなく、ジョンソン大佐は他の乗組員に飛び降りるよう命令しましたが、コ・パイロットはそれを拒み、二人が同機に残りました。 (大量の爆薬を積んでいたであろうB−29を、基地内や市街地に墜落させるわけにはいかなかったのでしょう。) 同機は、東京湾上に墜落しました。航空機も二人も未だ見つかっていません。 パイロットであったジョンソン大佐はこの時25歳。この悲劇と彼の勇気をたたえ、ジョンソン基地となったのです。 |
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2004/07/16
株式会社フレーバーハウス てらだ ひでお |
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